2024年8~9月に白根記念渋谷区郷土博物館で限定公開された白黒16ミリ映画『ハチ公物語』を視聴した感想です。今後の上映については残念ながら不明です。
1958年(昭和33年)制作の映画で、上映時間は約50分です。教育目的で作られたため、広く一般には公開されていない幻の映画とのことです。
無料の3Dモデルあるし渋谷のゲームを作ってみようかな → とりあえず渋谷について学ぼう → 郷土資料館で映画限定公開!? という流れで見に行きました。興味深かったです。
上映場所
白根記念渋谷区郷土博物館で限定上映されました。以前上映されたときに大盛況だったため、再上映が決まったとのこと。感謝感謝。
整理券の配布や複数回上映など、視聴したい人が全員見られるよう配慮されていました。
入場料100円で、映画のみの視聴はなんと無料。すごい。展示は地下・地上1,2階と充実していて、全部見て回ると1時間はかかると思います。日本文学好きならなおさら楽しめるのでは。
前提
- 1923~1935年 ハチ公
- 1934年に初代ハチ公像が建つ
- 1944年に供出
- 1948年に2代目ハチ公像が建つ
- 1958年に教育映画『ハチ公物語』制作 ←これを見た
- 1987年に映画『ハチ公物語』(松竹)が公開
初代像は、美術品として残すと決まったのに手違いで供出されてしまったとの資料がありました。担当者の気持ちを考えると胃が痛いです。
本編
本作は教育映画なので、難しい表現などはなく分かりやすい内容になっていました。
ハチ公は複数の犬が演じており、冒頭のスタッフロールで『~号』と名前が出ていました。
上映時間の大半が上野博士とハチ公の出会い~幼少期に割かれており、その後、あっという間に成犬、そして博士を待ち続ける姿、晩年……という感じです。全体的に明るい雰囲気で、悲しい気持ちにならずに視聴出来ました。
ロケ地の設定は渋谷駅前と松濤で、そのあたりの地理に詳しい方なら場所を特定できるかも。渋谷駅前は変わりすぎていてわかりにくいものの、この角度かな?と推測はできました。
当時の生活や服装などが分かる貴重な資料でもあると思いました。もっと大々的に公開してもいいのでは。是非してほしいです。
印象深いシーン
子犬のハチ公が、野球少年たちにバケツリレーのごとく代わる代わる抱っこされているシーンが見どころです。可愛いです。
少年の不手際でハチ公がいなくなってしまうシーンにかなり時間が割かれていました。出会って数日の犬をいかに大切にしているかが分かります。まあそれならこんな注意力散漫な少年に預けるなという話ではありますが。わざわざ遠方から贈ってもらったのに逃がしてしまい申し訳ないという気持ち以上に、ハチ公を気に入っていたんだなあという感じです。博士の動物に対する信念(後述)を知っていれば、その悲しさにもっと共感できると思います。
その後はすぐ成犬のシーンです。子犬はすぐ大きくなってしまうので現実に即しています。実際のところ東京に来た次の年には博士とお別れしてしまうので、送迎以上のエピソードはあんまりなかったのかもしれません。
成犬になったハチ公が渋谷駅の改札で待っているシーンはかなり見ごたえがありました。当時の再現(と思しき)改札や駅のホームは資料としても貴重だと思います。
特に印象深いのは、車で送ってもらって帰宅した博士が、駅にハチ公を迎えに行くシーンです。改札で待つハチ公の後ろに教授がそっと近づくのですが、ここでもう泣きそうでした!! この先で起こることは視聴者全員が分かっていますから、健気に待つハチ公に後ろから博士が楽しげに近づくシーンだけで!! もう!!!! 意識されているのかは分かりませんが、このとき丁度、博士とハチ公の間に柱があり、隔てられているかのように見えます。この時点では博士は健在ですが、まるで今後起こることへの救済というか、現代も待ち続けるハチ公像へのアンサーというかそんな演出に感じました。
その後、教授はハチ公に気づかれないようにそっと別の改札から駅の中に入り、まるで今電車から降りてきたかのようにハチ公が待つ改札から出てくるのです。ハチ公はこのときが一番幸せだったのでは。
映画の終盤では、渋谷駅前で待ち続けるハチ公の様子と、周囲の人や子どもたちに愛されている晩年の姿が映されます。ハチ公のためにお小遣いを寄付した少年の手紙を読む駅員さん。ハチ公への手紙は全国から寄せられていたとのこと。(手紙の実物も特別展で見ることが出来ました!)
教育目的での映画のため過度な感動路線ということもなく、素朴な感じで楽しく見れました。
コーラス
テーマ曲の物悲しげなコーラスはかなり耳に残りました。日本の秋田犬。
ハチ公について
ハチ公については、一般的なことしか知らなかったので今回色々勉強になりました。
展示では記載があったものの、映画では省略されていたことなどをいくつか書き残しておきます。ちょっとうろ覚えの部分があります。
- ハチ公は胃腸が弱く整腸剤を服用していた
- 映画では元気な子犬
- 本当はお腹が悪かったけど里親には心配かけないように元気ですとお手紙を出しただけかも
- 生後50日で東京に送られたそうなので、もう少し母犬と一緒にいても良かったのかも
- かなり小さい時期に引き離されたせいもあって博士にあれほど懐いたのかも
- 映画では元気な子犬
- ハチ公の名前の由来
- この映画では秋田の地名が由来でした
- 具体的な地名を言っていたのですが、私の記憶が曖昧です……八郎潟か八幡平だったと思うのですが……。
- 映画の中ではやたらと『ポチ』を勧められていた。
- 『ポチ』は明治30~40年に流行した犬の名前とのことで歴史を感じます。ポチの歴史について知る日が来るとは。
- ぽち(ポチ)とは? 意味や使い方 – コトバンク (kotobank.jp)
- リチャード・ギア版ではタグの名前→幸運の数字ハチということになっていたような
- ハチ公は秋田出身の秋田犬だから地名由来がしっくり来る
- 映画の中ではやたらと『ポチ』を勧められていた。
- 具体的な地名を言っていたのですが、私の記憶が曖昧です……八郎潟か八幡平だったと思うのですが……。
- この映画では秋田の地名が由来でした
- 日本犬が重宝されていた
- 当時は外国産の犬が流行っており、「純日本犬が少なくなる!」という危機感が一部で広がっていて、ハチ公のような秋田犬は人気があった
- ハチ公は1日中駅にいたわけではなく通勤・退勤時に駅に向かっていた
- 1日中駅で待ってるのかなと思ってたけどルーチン通りにしていた
- ハチ公のほかにも博士は犬を2匹飼っていた
- 映画中では全く触れられなかったものの、ハチ公が来る前の博士の家族写真には先住犬らしき2匹が確認できる
- Wikipediaではエスとジョンとのこと
- この犬たちも博士との愛がなかったわけではないと思うし家族なので作中で触れてほしかった……と思ったものの、資料は少ないだろうし尺の都合もあるので……。
- 博士の死後、ハチ公は内縁の妻の元にいたが馴染めなかった
- 映画ではそのへんには全く触れず
- 特に撮れ高がなさそうなのでまあ省かれても仕方なかった
- 正式な婚姻関係になかったから家を出なくてはならなかったの悲しい
- 博士自身が病弱で、結婚について消極的だったことや時代的な背景があった
- 映画ではそのへんには全く触れず
- ハチ公は最初から渋谷駅の利用客に愛されていたわけではなく、蹴られることもあった
- 新聞での投書がきっかけでハチ公の存在が周知されたらしい
- この投書をした斎藤弘吉さんはタロとジロの救出を訴えた人としても有名
- この映画やその他の創作物では、最初から受け入れられている印象だったのでショック
- 首輪をしているとはいえ犬が彷徨ってたらそりゃあ警戒されますわ……。
- 新聞での投書がきっかけでハチ公の存在が周知されたらしい
- ハチ公の胴輪(ハーネス)は何度か盗まれていた
- あんなに駅前で可愛がられてるのにそんな隙があるのか……。
- 当時胴輪は高価だったし、それがないと迷い犬扱いになるので大切なものだった
- Wikipedia見たら『安産のお守りとして盗む人がいた』とのこと。よくない。
- 南京錠されるのもやむ無し
- 『忠犬』は軍国主義を想起させるから『愛犬』のほうがいいのではという声があった(2代目銅像のとき?)
- 戦後間もない時期だしこの意見が出るのも分かる
- ハチ公が持て囃された数年後には食糧難で犬を飼う余裕がなくなり挙げ句には犬猫を供出させられるというとんでもない時代
- 数年時代が違ったら、ハチ公自身が供出されてた可能性もある……。
- だからこそ2代目の銅像を作ろうという流れになったのかも
- 数年時代が違ったら、ハチ公自身が供出されてた可能性もある……。
- いまや忠犬の代名詞
- 『愛犬』だったらここまで広く愛されていなかったかも
- 愛犬だったらカワイイ系の扱いになってたかも
- 『愛犬』だったらここまで広く愛されていなかったかも
- 銅像は2代目
- 何度かテレビで特集されていたと思うのでぼんやりとは知っていたけど改めてすごい
- 父が初代を作ってその息子が2代目の像を作るのすごい
- 材料が足りずに父の受賞作品の像(空襲で生焼け)を溶かして材料にしちゃうのすごい
- ハチ公像は左耳が折れてる
- 今まで気づかなかったけどイラスト化されたハチ公も大体左耳が垂れてる
- 写真では垂れてるというかくたびれて下がってますみたいな印象
- 垂れてない像もあるのでハチ公自身の決定的なチャームポイントというわけではないけど、ハチ公像のポイントはここ
- よく見たらハーネス(胴輪)もしてた!!! 今まで全然気づかなかった!
こうして改めて振り返ると、そもそも渋谷の一等地(松濤)に野球ができる空き地があるのすごいです。線路沿いは開けていて空が見えるし、車も全然走っていません。この100年でこんなに発展するとは。その中には空襲の影響など色々あるかと思いますが、今まさに再開発が進んでいる最中ということを考えるとなんかもうそれだけで渋谷の歴史に触れている感じがします。70年前の教育映画から学ぶことは多かったです。
お手?
こちらの興味深い記事……。
博士はハチ公にお手を教えていないので、駅の利用者が教えたのだと思います。お手を教えた人は別に悪気はなかったんだと思いますが、博士の犬を尊重する信念を知ってからだと、『なんてことをしてくれたんだ!!』という怒りが湧いてきます。
この写真だけなので本当のところは分かりませんし、うちで飼っていた犬も、教えてないのにお手っぽく片手を上げることがありました。なので芸として教えられたわけではなく、自然な姿なのかもしれません。犬が片手を上げるだけで大騒ぎになって記事になるのすごい。
現代でこそ『動物に芸を仕込むべきではない』という意識が広まってきていますが、100年前に実践しているとは。農学部なのも関係していそうです。本当に動物のことを考えている人でなければ、この境地には至れないのでは。
ハチ公に全く芸を仕込んでいないということは、駅前で待ち続けるのはハチ公の意思ということなのでしょうか。朝夕と渋谷駅前に向かうのは自然な姿なのでしょうか。犬の自然な姿とは? 犬と人間の歴史はかなり古いのでそこから語られるべきなのか? 仕込まれた芸と自発的な行動の差は? 結局のところ愛なのでは。愛です。
おわりに
ハチ公について全然知らなかったのでとても勉強になりました。
白根記念博物館は常設展示も見どころ満載です。家族で楽しめると思います。
非常に興味深い内容でした。公開に感謝!!